勝つことは目的?それとも結果? インターネットの世界では、Webサイトもブログも、検索上位に表示され、アクセス数が多い「勝てる」ページづくりが重要!と言われています。 多くの人たちが読んでくれるからこそ、自分の商品やサービスを目にしていただき意図することを伝える機会は増え、共感者も協力者もファンも生まれるというものです。 しかし。 私は、この「勝てる」という表現に気持ち悪さを感じてしまうのです。 問題は、「勝てる」、と定義するサイトやブログの創り方、書き方。結果的に「勝てる」ページになるのならともかく、勝つことへの意識が先に来ている時、お客さまやユーザーの皆さま不在になってはいないでしょうか? 勝てるサイトやブログでないと意味がない!? いやいや、勝つ手法は、あくまで目的を達成するための手段だから。 かもしれません。 が、「勝ちたい!」の思いには、「他者との比較の中で優位に立ちたい」、「その分野・業界でトップになって影響力を持ちたい!」という渇望が透けて見えて、そのせいかどこか上から目線を感じてしまうのです。 こんなことを考えるのは、私が単に、流行りの「潜在意識に競争社会への心理的トラウマやブロック」があるから……かもしれませんね、笑。 それでも、湧き上がって来るのです、強烈な違和感が。 おそらく、私自身の内側からの本質的な叫びだろうと思うのです。 「勝つ」ことを優先することも、「勝ちたい」と思うことも、その人の生きる姿勢であり、選択です。良い・悪いはありません。 最初から勝つことを狙って創るページは、ある意味戦略的で上手いなぁと思います。 しかし、そこに私は、「心」を感じることができません。 「狙って」掴まれた、つまり、心の隙に入り込まれ不安や飢餓感・不足感がある部分に誘いをかける。いかにその術中にハマらせ、自然に依存させる方向へ持っていくか。 だって、マーケティングってそうでしょう?消費者やユーザーの心理を読んで、行動を予想して仕掛けるものでしょう? そうした面を見る人にとっては、それがマーケティングやビジネスの現実となるのでしょう。 が、私は、心底、「琴線に触れるような」結び付きが生まれる可能性を、意匠・イメージやコトバという手段をつかって探り、感動を分かち合いたちと思っているのです。 マーケティングは、お客さまを知ること、いかにお客さまの目線で見て考えることができるか、という「他者への思いやり」を各所に施すことである、と私は考えています。 それを優しさや愛と表現すれば、「青い」「理想主義」、あるいは「あざとい」と言われるかもしれませんね。 私は、いたって本気です(笑)。 商売もビジネスも、人が当たり前に生きていくことと同じだと思っています。 執筆者 永田 マミ 各種講演、セミナー講師、シンポジウムコーディネーターほか、オリジナルワークショップ企画・実施&講師を務め、媒体制作等ではコトバによる表現(取材、コピー制作)編集作業も担当。 大手企業シンクタンクを経て政府系財団で農業雑誌編集長を11年務めた後独立。 2008年に地域と人の応援サイト【いちぐう】立ち上げ、ブランディングを始めとする総合プロデュース開始。 前の記事晒す勇気と飾らない姿のすばらしさ 次の記事不器用を武器に
勝つことは目的?それとも結果? インターネットの世界では、Webサイトもブログも、検索上位に表示され、アクセス数が多い「勝てる」ページづくりが重要!と言われています。 多くの人たちが読んでくれるからこそ、自分の商品やサービスを目にしていただき意図することを伝える機会は増え、共感者も協力者もファンも生まれるというものです。 しかし。 私は、この「勝てる」という表現に気持ち悪さを感じてしまうのです。 問題は、「勝てる」、と定義するサイトやブログの創り方、書き方。結果的に「勝てる」ページになるのならともかく、勝つことへの意識が先に来ている時、お客さまやユーザーの皆さま不在になってはいないでしょうか? 勝てるサイトやブログでないと意味がない!? いやいや、勝つ手法は、あくまで目的を達成するための手段だから。 かもしれません。 が、「勝ちたい!」の思いには、「他者との比較の中で優位に立ちたい」、「その分野・業界でトップになって影響力を持ちたい!」という渇望が透けて見えて、そのせいかどこか上から目線を感じてしまうのです。 こんなことを考えるのは、私が単に、流行りの「潜在意識に競争社会への心理的トラウマやブロック」があるから……かもしれませんね、笑。 それでも、湧き上がって来るのです、強烈な違和感が。 おそらく、私自身の内側からの本質的な叫びだろうと思うのです。 「勝つ」ことを優先することも、「勝ちたい」と思うことも、その人の生きる姿勢であり、選択です。良い・悪いはありません。 最初から勝つことを狙って創るページは、ある意味戦略的で上手いなぁと思います。 しかし、そこに私は、「心」を感じることができません。 「狙って」掴まれた、つまり、心の隙に入り込まれ不安や飢餓感・不足感がある部分に誘いをかける。いかにその術中にハマらせ、自然に依存させる方向へ持っていくか。 だって、マーケティングってそうでしょう?消費者やユーザーの心理を読んで、行動を予想して仕掛けるものでしょう? そうした面を見る人にとっては、それがマーケティングやビジネスの現実となるのでしょう。 が、私は、心底、「琴線に触れるような」結び付きが生まれる可能性を、意匠・イメージやコトバという手段をつかって探り、感動を分かち合いたちと思っているのです。 マーケティングは、お客さまを知ること、いかにお客さまの目線で見て考えることができるか、という「他者への思いやり」を各所に施すことである、と私は考えています。 それを優しさや愛と表現すれば、「青い」「理想主義」、あるいは「あざとい」と言われるかもしれませんね。 私は、いたって本気です(笑)。 商売もビジネスも、人が当たり前に生きていくことと同じだと思っています。 執筆者 永田 マミ 各種講演、セミナー講師、シンポジウムコーディネーターほか、オリジナルワークショップ企画・実施&講師を務め、媒体制作等ではコトバによる表現(取材、コピー制作)編集作業も担当。 大手企業シンクタンクを経て政府系財団で農業雑誌編集長を11年務めた後独立。 2008年に地域と人の応援サイト【いちぐう】立ち上げ、ブランディングを始めとする総合プロデュース開始。 前の記事晒す勇気と飾らない姿のすばらしさ 次の記事不器用を武器に